現在、イギリスでは古からの風習や風土が、まだ残っている数少ない国家です。
その中でも、特に他の国々との決定的な差は、現在も「王政」が健在だということです。
しかし、王政とはいっても、制限された王政であり、国の政治や法律は民主制で話し合いの元に決められるので(議員内閣制)これらは、今現在の日本の天皇と国民の様相と、あまり差がないと言えます。
そして、王政のメインとなる「君主=王」ですが、現在のイギリスでは、この王位継承権を持つ人物が世界中に数百人も、存在すると言われています。
イギリスの王位継承権=王位継承法
イギリスの王位継承権とは、著名な貴族階級を持つ家柄にのみ与えられた権利であり、現在のイギリスの法律で定められています。
日本にも皇室の関しての世襲の範囲が皇室典範という法により定められているとおり、イギリスでは、王位継承権を定めた「王位継承法」が同様のものになります。
イギリス王室の家系図(ルーツ)の起源
イギリス王室の家系(ルーツ)の起源は、フランスの王家を起源とするのが、現在での正当な家系図の起源であると言われています。
そして、現在のイギリス王家の家系図の起源となる人物の名前が「ウィリアム1世 (=初代・統一イングランド王)」と言われています。
この「ウィリアム1世 (=初代イングランド王)は、フランス王家の臣下であり、フランスでは「ギヨーム2世」と呼ばれています。
ウィリアム1世・ 初代イングランド王=ギョーム2世は、時のフランス王「シャルル3世」の家臣の家系にあたると言われております。
ウィリアム1世・ 初代イングランド王=ギョーム2世とヘイスティングズの戦い
1066年、当時のイングランドを支配していた、アングロサクソン・イングランド王・「ハロルド2世」と「ギヨーム2世」との戦いを「ヘイスティングズの戦い」といいます。
このヘイスティングズ戦いの結果、イングランド王・「ハロルド2世」を「ギヨーム2世=ウィリアム1世」が破り、勝利を手にすることとなり、初代ノルマン・イングランド王に即位します。
この後、ノルマン人によるフランス・ノルマン朝が誕生することとなります。
その後、ウィリアム1世(ギヨーム2世)は、自身の配下にイングランドの貴族から没収した土地を分け与え、ロンドンを首都に定めます。
こうして年月が経ち、当時のイギリスを支配をしていたアングロサクソンの言葉や風習など、アングロサクソンの風土にノルマンの文化が溶け込んで行くこととなり現在のイギリスに至って行くととなります。
イギリスに溶け込むことができた理由 -「ギヨーム2世=ウィリアム1世」とノルマン王朝-
アングロサクソン人は、ゲルマン人の一つの種族と言われており、他にデーン(デンマーク)と称する種族と並び、当時のインランド国に住まう人々のほぼ全ての種族であったとされています。
しかし、「ギヨーム2世=ウィリアム1世」の種族は「ノルマン」と称する種族であり、このノルマン人は、ゲルマン人に属する一つの種族であり、起源やルーツが同じ祖先であることから、当時のイングランドの文化や風習に、容易に溶け込むことができたと言われております。
◎イギリス王室 家系図 (写真・画像付き)
下記の家系図は、ファーガス2世(当時のグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国( イギリス)に始めて王国を建国した人物)から現在のイギリス王室の家系図となります。